会社の歩み[HISTORY]
創業者 松田九十九 略歴BIOGRAPHY
創業者 松田九十九氏の略歴
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- 1927年(昭和2年)1月
- 長野県より上京し、阿部硝子工業所勤務
社命により、米国から来日中のDr.ヘイドン氏に師事し、フロスト技術を習得。
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- 1930年(昭和5年)10月
- 松田硝子工業所設立
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- 1958年(昭和33年)3月
- 松田硝子工芸株式会社に改組し、代表取締役社長就任
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- 1966年(昭和41年)2月
- 社団法人発明協会主催関東地方発明展にて都知事賞受賞
東京都発明展にて、棚橋発明賞受賞
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- 1967年(昭和42年)4月
- 全国発明展にて発明賞受賞
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- 1967年(昭和42年)10月
- 化学技術振興に尽力した功労により東京都より表彰を受ける
全日本スクリーンプロセス印刷50年展にて商工会議所会頭賞受賞
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- 1972年(昭和47年)3月
- 工業統計調査に多年協力した功労により、通商産業大臣から表彰される
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- 1989年(平成元年)3月
- 取締役会長就任
叙勲・褒章
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- 1969年(昭和44年)11月
- 工芸用艶消硝子製造法開発の功績により紫綬褒章を受章
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- 1975年(昭和50年)4月
- 勲四等に叙せられ瑞宝章を授与される
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- 1975年(昭和50年)8月
- 内閣総理大臣より紺綬褒章を受章
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- 1995年(平成7年)4月
- 従五位に叙される
MATSUDA HISTORY
松田硝子工芸の創業者、松田九十九は昭和2年1月上京、阿部硝子工業所に入社しました。そんな折、アメリカの窯業界の権威者ヘイドン博士が来日し、青年松田は阿部社長の命を受けて研究生となりました。そして、これが人生の大きな転機となったのです。
技術を学び、それを確実に自分のものにした松田は昭和5年、25歳で独立し、松田硝子工業所を設立しました。その後、従来の職人的熟練が要求される工芸品の工業生産化の研究を続けて成功。戦後の平和産業の発展にともない、会社の規模も次第に大きくなっていきました。そうして数々の栄誉ある賞を受賞し、ガラス加工技術の松田の名を不動のものにしました。
さらに昭和33年には、会社を法人組織に改め、松田硝子工芸株式会社とし、業務内容を拡大していきました。その過程で終始一貫、こだわったのが技術です。創業者・松田の技術へのこだわりは、企業精神として現在も受け継がれています。
会社沿革HISTORY
1930年(昭和5年)10月 | 松田九十九が松田硝子工業所設立 |
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1958年(昭和33年)3月 | 松田硝子工芸株式会社へ改組 資本金130万円 |
1966年(昭和41年)9月 | 資本金1,500万円へ増資 |
1968年(昭和43年)9月 | 本社社屋を新築 |
1970年(昭和45年)8月 | 松田第二ビル新築 |
1975年(昭和50年)11月 | 白河工場開設 |
1981年(昭和56年)2月 | 白河工場を新築し、本社工場と名称変更 |
1988年(昭和63年) | フロスト設備を松田第二ビル1階に設置し、フロスト事業を再開 |
1989年(平成元年)3月 | 松田九十九 取締役会長就任 松田良夫 代表取締役社長就任 |
1995年(平成7年)3月 | 千葉県八千代市島田台に樹脂印刷を主とする八千代工場を開設 |
1997年(平成9年)9月 | 資本金を4,500万円へ増資 |
2000年(平成12年)11月 | 第三工場を新設し、樹脂印刷の生産能力アップを図る |
2012年(平成24年)1月 | 八千代工場内にセラミック印刷設備を第一プリント工芸株式会社より移設し、食品ガラス容器への印刷を本格的に始める |
2013年(平成25年)6月 | 松田良夫 代表取締役会長就任 櫻井 稔 取締役社長就任 |
2014年(平成26年)12月 | 設備の老朽化並びに受注減により、フロスト事業から撤退 |